不安の奥
不安で疑ってばかりいた週末。
真実はどうであれ、なんでこんなに疑わないといけないのかなって
ちょっとそれを冷静に考えてみようって思ってノートを開いた。
まず率直に書いていったらこんな表ができた。
ああ、そうだ。
一人では何もできない、生きていけないから、そばにいてくれる(ハズだった)人がわたしのところからいなくなるのが怖い。
そんなのありえない。
っていう思考。
この考えが自分の脳にガチガチにこびりついて、ヒートアップしたときに焦げ付いちゃってるから、ハイター使って浮かせてびろびろ〜って剥がしたいけど、まぁ現実はそんなにうまくはいかなくて。
だったらたわしか何かでゴシゴシして取るしかないわけだけど。
傷をつけずにたわしで綺麗にするのってすごく難しいわけで。
だからハイターで焦げを薄くしつつ傷つかない程度に少しずつゴシゴシってするしかなくて。
いつまでかかるんだって疲れてきちゃう。
疲れてきちゃった。
だから、別に焦げ付いてたって使えるんだからって言い聞かせてそのままいろいろ料理しようとしてたのが最近の状態。
それでも美味しいだろうっていう料理はできる。
それでもところどころに焦げが浮いてる料理、焦げのついた鍋で作った料理なんて、相手はどう思ってるか
むしろわたしの料理が嫌だからほかの人のところに行ったのに、結局また無理やり同じものを食べさせられて、どんな気持ちでいるのか
不安で不安で。
やっぱりほかの人の料理が恋しいんじゃないか、目の前にいなくて見えないのをいいことにもしゃもしゃ食べてるんじゃないか
そんなふうに疑ってしまう。
あともう一つは、わたしはやっぱり幸せになっちゃいけないんじゃないかっていう思考に今日気づいた。
今まで自覚してたのは、“わたしがいないほうがみんな幸せになる、みんなうまくいく、わたしは邪魔者”そんな思考。
冷静に考えれば考えるほど、いつもそこにたどり着いてしまって、でもわたしはいるんだからしょうがないじゃん、って、無理やりエゴをそちらに向けようと頑張って、いないほうが良い思考と上に書いた不安や疑いを辛くてもごまかしてごまかして、わたしは幸せ!って。一人で治すんだって。わたしさえ変わればいいんだって。
ほんとは、痛いよ痛いよって心の傷口は泣いてるのに。
上からバンドエイド貼って泣き声を小さくして。
そうじゃなくてやらないといけないことは、傷口をもっと掘ることだったかもしれない。
痛いけど、穴があいたままだとずっと痛い。
傷を埋めるために、傷口の底まで掘って、そしてちゃんと隙間が中に残ってしまわないように埋める。
そのほうが大変な作業で、痛みも伴って時間もかかる。
でもちゃんと塞げばいつかは綺麗に穴なんてわからなくなるんだ。
幸せになっちゃいけないんだ思考。
どれだけ自力で這い上がろうとしても、わたしは自分の力で幸せになることを許されなかった。むしろ、幸せにしてもらうことも許されなかった。
幸せが見えてくると誰かがそれをスコップで壊す。
はい残念でした〜www今回もダメでしたね〜www
って。
なんでその人たちにその権利があるのか知らない。時には全く関係のない人まで連れてきて一緒になってバカにして幸せを奪う。
そうやってわたしは複数の人によって、幸せになっちゃいけないんだって繰り返し繰り返し刷り込まれた。
だからまたくるよな、そろそろまたバカにされる時間だよな、平和なんて続くわけない
その無意識が働いてわたしは疑い、幸せではない証拠をひたすら探す。
探せば探すほど出てきてしまう。
不安が確信になってしまう恐怖、でもその恐怖はだいたい実現してきたことをわたしの体は、わたしの心は、わたしの脳は知っているから。
だから疑いや不安に歯止めがきかない。
わたしは絶対に幸せにはなっちゃいけないから。
いくら自分が幸せを許可しても、まわりがそれを許してはくれない。
わたしのことを知らない人たちまでもが許してはくれない。
だから自分ももう諦めた。わたしの許可など無力なのだと。わたしは幸せにはならない、なれない人間なのだと。
もういちど許可する気力もない。
だってどうせ裏切られるから。努力は無駄に終わるから。
そんなふうに、もう幸せでいることの許可すら思いっきり拒絶してるのがわたし。
硬い意志というよりは、アレルギー反応みたいなもの。
触れるだけで命に危険が迫るほどパンパンに腫れるから、もう触りたくもない。
じゃ、だれがそこに薬を塗ってくれるの?
だれが代わりに許可してくれるの?
そんなグロいところを見せられるのは、今のところわたしを裏切った人しかいない、というのが一番の複雑な状況。
難しい課題だ。グロさに耐えて許可してもらう方法。
どこまで理解してもらえるかわからないけど、「幸せにしてくれますか?わたしは幸せでいてもいいのですか?」と聞いてみたい。
でもまだ今じゃすんなり「OK」と言われないことがわかっているからわたしは今までできなかった。
もしこれでダメだったらどうしたらいいかわからないから、今でもできない。
曖昧は辛いのに、曖昧にしておいてもらわないとわたしは幸せどころか幸せへの一縷の希望すら失ってしまうのだ。
聞いてみるか聞いてみないか。
期待していいのか
どう思う?どうする?
やっぱり諦める?
ふぅ、難しい。
恋愛依存(閲覧注意)
取れない依存、取れない不安、溢れ出る幼児性。
浮気されてからやはりひどくなった。
よくしよう、よくしよう、ともがいているから低空飛行ながらなんとか保っていられるけど、不安というものの数や質は全然違う。
わたしはかわいそうだな、と思う。
あれがなければ、この1年間がなければ、もっと健全に鬱やアダルトチルドレンから快復できていただろう。
でも起こってしまった。
わたしのまわりにはわたしを傷つける人しかいない。
そんな中で生きていかなきゃいけない。
裸足で茨薔薇を踏みながら。
生きていかなきゃいけない。
ぬるま湯の中で幸せに浸かって生きられない運命を受け入れなきゃいけない。
ずっとこの不安や依存を抱えて、癒されない幼児を抱えて生きていかなきゃいけない。
今、思いついたんだけど、もうすぐわたしの誕生日、誕生日プレゼントは【子どもに還ること】にしてもらおうかな。
一日、思いっきり子どもになるの。
泣いてもいいの。喚いてもいいの。わがまま言ったら聞いてもらえるの。抱きしめてもらえるの。たくさんたくさん泣いていいの。
お母さんがほしい。お父さんがほしい。甘えたい。思いっきり甘えたい。与えた愛情以上の愛情を返されたい。大好き愛してる、こまりすが世界で一番だよ、一番大事、命より大事だよ、って示してほしい。言ってほしい。
お父さんになって。お母さんになって。
わたしは子どもになりたい。
こまりすはね、赤ちゃんになりたい。
ふ②
わたしが普段から思ってること。
“死にたい”って気持ちを大切にしたい。
というと変な意味に捉えられるかもしれない
メンヘラみたいに思われるかもしれない
でもそうじゃなくて、本当に本当に苦しいの知ってるから。
死にたいんだと自覚してなくても、してても、もし本気じゃなかったとしても、
それが苦しさから出てくる言葉には変わりないんだよ。
わたしはその苦しさを頭ごなしに否定したくない。
だから、何も聞かないでまず第一声に
死んじゃだめだよ
命は大切に
生きられなかった人もいるんだよ
そんなこと言ったらだめだ
などと言うことは絶対にしたくない。
その苦しい“死にたい”という言葉、その心の叫び、心のSOSをちゃんと受けとめたいんだ。
死ねば?って言ってるわけでも、死んでいいよ、って言ってるわけでもなく。
大切にしたいんだ、その気持ち、その言葉。その人のこと。その人の全部。
何も知らないで苦しさをただ“死んだらだめだ”と頭ごなしに正論で否定するような態度の世間だから、人は死にたくなるんだ
どんな言葉であれ、そこに言葉がある限りそれは“届けたいもの”なんだ
たとえそれがうまく外に出てこなかったとしても、“届ける”ために言葉はあるんだ。
そしてその言葉が届くためには、受け取られるところがいるんだよ
だからわたしはその態度を忘れたくない。
届けられようとしている言葉をパーンと跳ね返したり、スッと消してしまったり
そういうことはしたくない。
届いていいんだよっていう態度でいたい。
他人に対しても。自分に対しても。
不安
不安が止まらない。
きっかけはメッセンジャー見ちゃったことだ。二人のログイン時間がいつもかぶってる。
そんなタイミングよくいつもいつも?って思う。でも本当にただの偶然かもしれない。
信じたい。
でも今までにこの感が当たらなかったことはなくて、だからこそ不安になる。
人は変われないことを知っている。
特に変わろうと思っていない人たちは。
平気で嘘がつける人は嘘がつけるままだし、感情だけで動く人は永遠に感情だけで動く。それがいくら人を傷つけることでも。
そして人は基本的に懲りない。
それを知っているからこそ、不安なのだ。
そしてその人たちには前科がある。一度や二度ではない。
だから不安なのだ。
信頼のかけらもないから。
そこを無理やり信じようとしてる。
それがわたし。
でもわたしには経験ってものがある。
感が当たってしまった経験。傷ついた経験。不安はいつも現実になるという経験。
だから不安なのだ。
もう傷つきたくないから。先に想像しては傷ついて。でも期待するからたしかめようとして。そして不安が的中して。傷ついて。でも本人にきちんと確認する勇気はなくて。だから不安で。傷ついて傷ついて傷ついて。
不安で苦しくて辛い。
ちゃんとやめてくれたら。
わたしを安心させることに全力を尽くしてくれたら。
どんなに楽だろう。
でもそれは無理だってわかったから。
不安もごまかすしかない。
信じようと頑張るしかない。
もしくは、他の道を探すか。
信じようと頑張らなくてもいい、その方法を探すか。
信じられないならほっとけばいいのか?
そしたらあとで傷つかない?
信じようと頑張らなくてもよくて、不安も追い払えて、そしてわたしが絶対に傷つかない方法。
必ずある。
みつけよう。考えよう。
今の気持ち
結婚しないって決めたらちょっとスッキリした。
なんだかあやふやなまま、憧れがへし折られた状態のまま、まだ期待だけしてるから辛かった。
他人に決められたみたいで。
実際そうだし。
でもちゃんと自分に言ってあげる。
わたしは結婚するという道を通る人生は選ばない。
もともと子どもはいらないと思ってたし、大人になってからいろんな人と出会ってしまって結婚はすごく憧れたけど、やっぱりわたしは誰かに愛される人生は持てないってわかったし。
だったら、違う道をちゃんと自分で選ぶ。
それがわたしの幸せだよ、と。
今ね、子どものころのわたしに全力で謝りたい。
家族はいらない。ずっと一人で生きていく。
そう思って強く頑張ってたわたしに謝りたい。
逃げようとして、自分で決めたこと忘れて、子どものころの自分の声と直感に耳を貸そうとしなかった。
わたしも一丁前にほかの人たちと同じような人生が歩めるんじゃないか、って勘違いして、全部無視して突っ走ってきた。
そのせいで自分で自分を傷つけてしまった。
目先の喜びにばかり目を向けて、自分のこと無視してしまった。
ちっちゃいわたしは悲しんでたよね。
ずっとずっと。
傷つかなくてもいい傷をたくさん受けて。
なんでそんなことするの?って泣き叫んでたよね。
もう大丈夫だよ。
今度こそ家族も結婚も子どもも捨てよう。
一生一人で生きていこう。
もう自由になっていいんだよ。
もう傷つくことないんだよ。
たくさんたくさん喜んでね。
一人で叶えられる夢、いっぱい考えようね。
カルテット
ドラマのカルテット。
痛いくらい突き刺さってくる言葉や、感銘を受けて保存したい言葉や、なるほどって思う言葉や、
とにかくこのドラマは言葉が印象的で、いろんな言葉に溢れてる。
ミッキーカーチス(役名わからない)がすずめちゃんに言ってた
君の好きはどこいくの。置き場所に困らないかい?
って言葉は優しくて、でも厳しくて。
困ってるよ!困ってる。
でもこんなふうに心を読んでくれる、読もうとしてくれる人がいてくれたらなって羨ましかった。
あとは、まきさん夫さんがまきさんのことを
愛してるけど好きじゃない
って言ってた。世の中で、人生で、こんなに辛い言葉ってあるのかなって。
わたしは《情》というものでは愛されてるかもしれないけど、人として好きって気持ちはもう失われて、そういう意味ではもう誰にも愛されてなくて。
この先も誰にも愛されなくて。
だから辛かった。
なんで世界には愛なんてものがあるんだろう。そんなものがあるから辛い思いをしなきゃいけない人がたくさんいて、そんなものさえなければ、みんな楽しく平和に仲良く、それこそ愛を持って生活できる世界になるのにな、なんて。
あれ、けっきょく愛か。
わかった、なくなってほしいのは恋だ。あと恋愛とか好きって気持ち。そんなものさえなければ。不幸は生まれないのに。だってそしたら嫌いになることだってないんだから。
だからわたしは人を信じられない。