ふ②
わたしが普段から思ってること。
“死にたい”って気持ちを大切にしたい。
というと変な意味に捉えられるかもしれない
メンヘラみたいに思われるかもしれない
でもそうじゃなくて、本当に本当に苦しいの知ってるから。
死にたいんだと自覚してなくても、してても、もし本気じゃなかったとしても、
それが苦しさから出てくる言葉には変わりないんだよ。
わたしはその苦しさを頭ごなしに否定したくない。
だから、何も聞かないでまず第一声に
死んじゃだめだよ
命は大切に
生きられなかった人もいるんだよ
そんなこと言ったらだめだ
などと言うことは絶対にしたくない。
その苦しい“死にたい”という言葉、その心の叫び、心のSOSをちゃんと受けとめたいんだ。
死ねば?って言ってるわけでも、死んでいいよ、って言ってるわけでもなく。
大切にしたいんだ、その気持ち、その言葉。その人のこと。その人の全部。
何も知らないで苦しさをただ“死んだらだめだ”と頭ごなしに正論で否定するような態度の世間だから、人は死にたくなるんだ
どんな言葉であれ、そこに言葉がある限りそれは“届けたいもの”なんだ
たとえそれがうまく外に出てこなかったとしても、“届ける”ために言葉はあるんだ。
そしてその言葉が届くためには、受け取られるところがいるんだよ
だからわたしはその態度を忘れたくない。
届けられようとしている言葉をパーンと跳ね返したり、スッと消してしまったり
そういうことはしたくない。
届いていいんだよっていう態度でいたい。
他人に対しても。自分に対しても。