愚痴
詳細は落ち着いたらまとめます。
とりあえず心がざわざわして寂しくて落ち着かなくてつらくて
だから愚痴だけ書きます。
いきなり「今すぐ死にたい」って言って電話が切れたら心配するよね?
でもしばらくはそっとしといたよ。
何時間たってもその後の連絡ないから電話したら出なくて、「大丈夫かな」ってラインしたら「大丈夫だから」って返事。
大丈夫『だから』って何?大丈夫だからなんなの?ほっといてほしいの?もっと心配してほしいの?わからんよ。
死にたいとか言いだしたきっかけは、休日出勤で職場でアップロードしたファイルがアップロードできてなくて、もう一回行かないといけなくなったことだけど、どうせまた同時に別れた浮気相手のことを考えて鬱になったんだろう。
だからまたいきなりわたしを避けてる。
いつもそう。仕事のことで鬱になって同時にまた浮気のこと(しかも自分の)蒸し返してきて冷たくあたってくるのやめてほしい。
補足
今日のツイートに補足していろいろ書いてみる。
まず素直に思うのは、わたしは羨ましいのだ。
健全な人が?
違う。
幸せな人が?
それはある。でもそれだけじゃない。
じゃあ何が?
同じようにアダルトチルドレンで、でも運よく素敵な人に出会えて救ってもらえた人が羨ましいのだ。
わたしは誰かに助けてもらいたいのだ。
誰か=彼氏
そしてもっと突き詰めて言えば、
今の彼氏。
冷静に見たら、彼はそんな器じゃない。
人の気持ちもわからないし平気で裏切るし感情のままにしか生きていない。
どれだけ傷付けられたかわからない。
それでもなぜ彼がいいのか?
それは、好きだからじゃない。
好きかどうかもうよくわからない。
そして、彼はわたしのことを好きではない。ほかに好きな人がいるからだ。
はっきり言うと、そこまで関係が破綻しているのに、なぜわたしは彼じゃなきゃだめなのか?
それは、彼がわたしを助けてくれようとしたからだ。
彼が助けてくれようとしている間、わたしは幸せだった。
それが忘れられないのだ。
わたしを助けてくれようとした人が忘れられないのだ。
たとえ中途半端で投げ出されて、もっと悪いところに着地したとしても、(実際そうだった)
わたしは助けてもらえるかもしれないって思えたことが忘れられないのだ。
そして、もう一度続きをしてほしい。
もうそれしか救いがない。
生きる術がわからない。
だからわたしは無理矢理にでもつなぎとめておきたいのだ。
こうやって書いたらだめなことに見える。
一方的に相手を苦しめてるみたいに見える。
だけど本当にわたしはだめなことをしてるのか?わたしはまわりの人に悪影響しか与えられないのか
このままずっとずっと愛されないのか
もうわからない。
わからない。助けてほしい。わたしだけを愛してほしい。
やっぱりそこに辿り着く。
つらい。
でもやっぱり考えないようにするしかない。
愛されたい病が発動したら、思考停止させる。
これが今のところ一番きく。
今日のツイートまとめ
信田さんのメッセージ、見に行ってみた。(NHKのドラマサイトのお知らせ欄に何個か)
すごい心に来た。新たな気付きももらった。ありがとうございます。
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信田さんのメッセージは、これ
Part❶
2017.01.12
母娘ドラマへの誘い
「お母さん、娘をやめていいいですか?」の放送にあたって、臨床心理考証を担当していただいた信田さよ子さんからメッセージをいただきました。
■プロフィール
信田さよ子(のぶた さよこ)
臨床心理士。著書に「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」(春秋社)など。
母娘問題の背景について
家族関係のうちでもっとも仲がいいのが母と娘だ、そう考えられてきたのではないでしょうか。女性どうしの気楽さでいっしょにショッピングに行けるし、時には温泉旅行もできる。結婚して出産すれば、夫の母親よりもずっと自分の母親のほうが安心して子育てを手伝ってもらえるはず、そんなふうに考えているひとたちにとって、このドラマのタイトルはちょっとショッキングかもしれません。
さて、「母と娘」がひとつのトピックになったのはここに来て急に起きたわけではありません。ざっとこの10年足らずの歴史を振り返ってみましょう。
2008年が幕開け
2008年、私が書いた「母が重くてたまらない・墓守娘の嘆き」(春秋社)という本が話題になりました。ほとんど同時期に精神科医の斎藤環さんが「母は娘の人生を支配する」(NHK出版)、絵本作家の佐野洋子さんが「シズコさん」(新潮社)を出版されました。三冊に共通しているのは、「娘の立場」に立って、母との関係が苦しいということが書かれた本だという点です。世間で仲がいいはずと思われている娘たちが、いい娘でいたいと思いながら母から離れたいという葛藤に苦しみ、中には母から押し潰されそうになっているということが、初めて本になり多くの人たちに読まれることになったのです。
大きな話題になったことに驚いたのですが、もっとびっくりしたのは、本のタイトルだけでショックだった、書店で手に取る勇気がなかった、買ったけど読み始めるのに時間がかかった、といった反応が多かったことです。多くの娘(女性)たちの苦しみを改めて知る思いでした。
2008年が一つの幕開けとなって、インターネット上でも多くの女性たちが「母が重い」「しんどい」「つらい」という声をあげるようになりました。自分だけかと思っていた女性たちが、世の中には同じ苦しみを抱えている娘たちが大勢いるということを初めて知ったのです。
毒親・毒母
2011年の東日本大震災以後、今度は「毒母」「毒親」という言葉が広がることになりました。自分の母親を「毒母」と名づけることでなんとか母親から距離を取ることができる、母の愛は毒だったと断定することですっきりする、そんな女性たちに「毒」というちょっと過激な言葉が歓迎されたのです。女性誌やテレビなどでも面白半分に取り上げられることも増えました。私自身はあまり積極的に毒母という言葉をつかうことはありませんが、カウンセリングで娘たちのお話しを聞いていると「ああ、毒というしかないな・・」と思うことはしばしばです。
ここまでおおざっぱに流れを説明しましたが、もっとさかのぼれば、1980年代に日本で初めて実施されるようになったフェミニストカウンセリングにおいて、ひとつの重要なテーマが母と娘だったということは忘れないでいたいものです。
娘の立場で
私はカウンセラーとしてこれまで本当に数えきれないほどの女性と会ってきましたが、あまり中立的であろうと意識しないようにしています。カウンセリングにやってくるまでにどれほどの葛藤や苦しみがあったかを思うと、やっとの思いで言葉になった母親との関係について、娘の立場に立ち寄り添うことが何より大切だと思うからです。もっとはっきり言うなら、娘たちの味方になるということです。なぜそうするかと言えば、家族の常識、世の中の常識は、母親は子どもを愛するものだと信じて疑わないからです。
ドラマに登場する斉藤由貴さん演じる母親も、自分ほど娘のことを思っている母はいないと信じているはずです。そして、常識や世間は「母親の味方」なのです。あんなに娘のことを思っている母のことを悪くいうなんて、ひどい娘だ、わがままだ、恩知らずだと責めるのです。
誰の立場に立ってこのドラマを見るか、それもひとつの興味深いポイントです。母も娘も、そして父も、この家族の誰もがみんなそれなりに一生懸命生きているのですから。
そのうえで、母の愛がなぜ娘にとってモンスターのように変化していくかを、回を追ってたっぷり見ていただきたいと思います。
母と娘というテーマを、正面切って娘の立場から描いたドラマはこれまでほとんどなかったと思います。2008年に本を出したころには、このテーマがドラマ化されるなどとは想像もできませんでした。その点から見ても画期的なドラマだといえるでしょう。
Part②
2017.02.09
母娘ドラマへの誘い~出口はどこにあるのでしょうか~
「お母さん、娘をやめていいですか?」後半戦に向けて、臨床心理考証を担当していただいた信田さよ子さんからメッセージをいただきました。
■プロフィール
信田さよ子(のぶた さよこ)
臨床心理士。著書に「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き」(春秋社)など。
ドラマを見たひとたちは、次のような共通の問いを抱かれるのではないでしょうか。
「いったいどうすればいいのだろう」「はたして解決方法はあるのだろうか」と。
私はカウンセラーとしてそのような女性たちと長年お会いしてきましたが、その経験からいくつかの方向性があると思っています。そのすべてに関して手短に述べることはできませんが、もっとも大切な点だけをお伝えしましょう。
このドラマは一見母と娘の関係だけを書いているように見えますが、影のテーマは父親(男性)なのです。そもそも家族が誕生するのは、一組の男性と女性が結婚するからです。もちろん近年の同性婚や事実婚もそこには含まれます。二人がいったんは「愛を誓う」ことから始まる家族は、「愛の結晶」としての子どもをもうけることになります。そこから母と娘の物語がはじまるのです。順序から考えれば、父と母の組み合わせが先にあっての母と娘であり、その逆ではないということを強調したいと思います。
長い結婚生活を過ごしながら、失望、裏切り、いさかいなどを経て夫婦は年を重ねていきます。家族の要(かなめ)である夫婦の関係が変質することで、どれほど大きな影響が子どもに表れるかは筆舌に尽くしがたいものがあります。このところよく目にするようになった言葉に面前DV(子供の目の前で親の一方がもう一人の親に暴力をふるうこと)があります。これは心理的虐待にあたるとして、児童相談所に通報されるようになりました。たとえこのような暴力がなくても、母が父への不満や愚痴、時には怒りを子どもに垂れ流すと、子どもは母が壊れてしまわないために全身全霊で母を支えるようになります。そして母の味方になって父を敵視するようにさえなるのです。自分のことより、まず母のことを最優先するために、母の感情を読み取り母の期待を先取りするようになります。アダルト・チルドレン(AC)という言葉が広がることで、いい子の苦しみがなぜ生まれるかが多くのひとたちに知られるようになりました。
このような父と母の関係の崩壊、希薄化、対立が母娘関係の背景になっていることは間違いありません。多くの父親は、暴力をふるわない、ギャンブルや酒の問題もない、まじめに仕事さえしていれば合格点と思っています。その安心感のせいか、妻が何を考えているか、妻が孤独ではないか、といった人として当たり前の関心を失っていきます。関心を払われないということは、人として扱われていないことなのです。
夫の静かな無関心は、愛を誓い夫婦の絆を信じていた強さに反比例して、深い失望感と裏切られ感を妻にもたらします。母たちが夫にリベンジし、人生を生き直すために、期待どおりに行動し、素直で、時には母親のようにやさしい娘ほど最適な執着の対象はありません。娘さえいれば夫なんて、という母親たちを「毒母」と批判し、切って捨てることは簡単です。むしろ背景にこのような彼女たちの挫折、孤独をくみとっていく必要があると思います。母娘問題のひとつの出口は、母と父の関係が再び築けるかどうかにかかっているのです。
いっぽう、娘が母から離れるためにも、男性の存在が大きな鍵を握ります。結婚している娘たちも、夫が自分と母の関係を理解してくれ、時には防御壁になってくれることで母と距離をとり安心して暮らせるようになるのです。このように、母娘問題は、とかく祖母・母・娘の女性だけの問題、世代連鎖として語られがちですが、父と母の夫婦関係、娘の恋人・夫婦関係こそが、泥沼化することを防ぎ、出口を示してくれると思っています。
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信田さんの【出口はどこにあるのでしょうか】というメッセージの最後が
>父と母の夫婦関係、娘の恋人・夫婦関係こそが、泥沼化することを防ぎ、出口を示してくれると思っています。
わたしの場合なんてまさに両親の夫婦関係が一番の問題で、自分の恋人関係がACだと気付くきっかけになった。
彼氏に『親と離れろ』なんて言われたところで、破壊的な結びつきからは簡単に抜け出せなかったんだけど、できなかったから彼氏が離れた(二人目)。それでやっとわかった。頭と心を殴られないとわかんなかった。その点ドラマの娘は気付きが順調にいってるほうだなって思う。
で、こういう問題があるからこそ、アダルトチルドレンの子たちで一番難しいのは恋愛ってことになるわけだ。健全になるために健全じゃないことに付き合ってもらわないといけないけれど、健全な人は普通そんなものに関わりたくない。
かといって、同じ悩みを持つ者同士じゃ余程うまくやらないとほころびだらけで、先にはもっと大きく傷つく出来事が待ってることだって少なくない。
どうしようもなくなっちゃったときの破滅行動が×2になるわけだから。いや、呼応し合うからむしろ二乗くらいの勢い。
そしてそこでも共依存が生まれやすいわけだ。健全な理解のある人に出会って親子関係からも救われてこういう恋愛面での問題が起こらなかった人(起こっても理解して認めてもらえたらいつかは落ち着く。そこまで待ってくれる人に出会えた人)もたくさんいるだろうな。
でも出会えるか出会えないかなんて運としか言いようがないから、
わたしが考えた解決策は、《人間関係の難しさを考えない》ってことと、《自分を理解する》ってことだ。自分を理解するのは、どんな相手にでも押し付けることなく自分の問題を提示できるようにするため。
深い仲になるのに(例えば結婚とか)隠してはおけない。隠したり気づいてなかったりっていうのが一番よくない。でも背負わせるっていうのも違う。
だから、自分で自分を理解してたら、重くなくさらっと相手の力を借りることができるかな、と。何が必要なのかがわかるから。
ストレス② ストレス源
帰る準備して、帰ると見せかけて、やっぱりやめて戻ってきた。
まじやめてほしい。
こういうのをぬか喜びっていうんだ。
さっきから書いてるこのストレスをわかるように説明すると、
実は今わたしが一人暮らししている部屋は、シェアハウスなうえに、大家の爺さんがわたしの部屋を通り抜ける(通らないと爺さんの部屋に行けないから)という、あまりプライバシーのない部屋なのである。
最初に入居するときは、爺さんは一週間に一回しかこない、23時以降に静かにしてくれればいいから、と言っただけだった。
だけど蓋を開けてみれば、一週間に一回っていうのは、一週間に3日連続でいたってそれは一回なわけで。
23時以降って言ってたのに、結局は自分の都合で自分が早く寝たいときは22時に(しかも週末の)ゲームしたり電話したりしただけでめちゃくちゃ文句言われて怒られるし、朝、目覚ましをかけてなかなか起きられなくてスヌーズしただけでめちゃくちゃ文句言われて怒られるし、そのくせ、自分が夜ふかししたいときは何時でもわたしの部屋を通る、電気をつける、ドアを開けっ放しにする、夜中に何回もトイレに行く(これは仕方ないかもしれないけどわたしはそのたびに目がさめるのだ…)、というかんじで、実はけっこう睡眠障害みたいになっている。
困るのは、この家に住むようになってから昼寝も落ち着いてできなくなったことだ。
爺さんがいるときはもちろん、頻繁に爺さんが通るからできないし、普段もいきなり部屋のドアを開けられる恐怖から部屋で落ち着いて過ごせない。
落ち着いて過ごせないことが癖になって、そしてそれが日常になって、どこにいても気が抜けなくて常にストレスがたまる。
そして夜もそんなかんじでしっかりと寝れないのでストレスも疲れもとれない。
早く引っ越せばいいと言われるかもしれないけど、そんな簡単な話ではない。
もう今までも何度も家を申し込んだのだ。
だけど外国人+慢性的な住居不足で申し込む人が半端なく多いため、いつも断られてばかり。
あと、本当にお金がない。
奨学金の返済と、年金を払ったら(給料から引かれてるのはドイツの年金なので、日本の分を手取りの中から払ってる)給料なんてほとんどなくなるし、貯金ができないどころか家賃がストレスになる。
あと、まだ仕事の契約が落ち着いていない。とにかく安定してない。
だから本当に引っ越しは難しい。だけど本当にストレスである。
昨日のツイートまとめ
お母さん、娘をやめていいですか?
見てるとつらくなる。存在を支配されて育った子って、どこにいってもつらいんだよね。逃げても反発してもつらいんだよね。自分を主張すると悲しい顔をされるから。自分を殺して生きてきたから。自分の立場や気持ちを優先させることにすごく罪悪感があるんだよね。
そっか、それが共依存なんだね
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今また言語化できたことがある。理由がわかった。昔はあんなに一人になりたかったのに、20歳こえてから急に結婚願望が強くなり自分が家族をもつことにこだわるようになった理由。
そうすれば逃げられると思った。もう追いかけてこないと思った。逃げられて、新しい居場所もできて一石二鳥だと。
わたしの家族は、なんといったらいいか、、複雑で一言じゃ言えないけど簡単に言ったらぐちゃぐちゃだ。そして弟は親の期待通りに育たなかった。そしてみんながわたしに依存してる。いつからかな。それなのにわからないのは、なぜわたしをちゃんと見ないのかな?意志を尊重してくれないのかな?
父親も母親も、最近また、わたしが実家にいつ帰ってくるのか、とか、帰ってきたらどうの、とか、そんな話ばかりしてくる。わたし、帰らなきゃだめなの?
たぶん二人とも、わたしが結婚するなんて言ったらめちゃくちゃ嫌な顔をして、その次には嫌味ばかり言ってくると思う。
そして、父親のなかでも、母親のなかでも、わたしのこれからの人生のプランが決まってて、わたしがその通りに進めないと何度も何度もわたしが折れるまで文句を言うし、もし失敗してその通りにいかなかったら「残念だ」「どうしてだ」とひん曲がった顔で何度も何度も。
わたしの人生どこいったの…
支配が嫌になって「だったら自分でやってよ」って何回か言ったことがある。そしたらいかにも子育て間違ったみたいな顔でぐちゃぐちゃ怒られるんだよな。その期待って誰のため?わたしは誰のために何のために生きてるの?一生どこにも行かないで親のためだけに生きていかなきゃだめですか?
これからもし、わたしと結婚したいって人が現れても、あの親と対峙させないといけないと思ったらなんか申し訳なくて。いや、外面はいいから押し切ればパートナーとその家族にはいい顔して表向き賛成するかも。でもそのあとわたしがどんな目にあうか…
それを支えてくれる人なんてこの世にいるのかな。
だからほんとは今すぐでも親に挨拶なんかしなくて電話で報告くらいの勢いで結婚したいと思ってた。話したときにどんな顔するか想像できるし(たぶん、落胆と嫌悪感が入り混じった顔をするだろう)、相手のこともわたしのこともちゃんと見ないで、わたしがプランを外れた不安をぶつけられるだろうから。
でもよく考えたら、そんな事情を全部パートナーになる人に背負わせるのは酷いと思う。その証拠に、その一部をほんのちょっとだけ背負ってしまった彼はぐちゃぐちゃに潰れて、今はもうわたしが少しでも家族のことを匂わそうものなら全速力で逃げていく。結婚なんて無理だよね
結婚して新しい家族と居場所がほしいのは逃げたいから。これはほんとだと思う。
一人になるのが怖い。これもほんと。
だけど、ちゃんともっとポジティブな気持ちがあるのだってほんとだと思う。そっちを大事にしたい。
わたしにだって、自分も相手も幸せにする力がちゃんとあるんだって信じる🌈
それにしても外面って究極に無意味だよな。
母親は性格も精神的にも変で、父親は機嫌がすぐ悪くなって物を投げたり怒鳴ったり。弟は父親には支配されつつも母親をDVしたり金を無心したりしてて。そんな家だけど外にはいい感じに取り繕ってる。
でもみんな、気づいてるよ。近所の人も、みんなね。
いま、家庭の問題を簡潔に書いてみてわかったんだけど、家の中ですごくストレスたまってるから、みんなわたしに依存してくるんだろうな。ある意味わたしは希望の星なんだろうな。
ストレス
お願い、今日はもう帰ってほしい。
風邪をひいてるとき、疲れてるときに他人がいきなり部屋に入ってくる恐怖とストレス。
本当に早く引っ越したいけど本当にお金がないし本当にいい家がない。
どうしよう、どうしよう、、
これ、どうにかなるのかな。
認められる経験
ツイッターで真理を書いてくれてる人がいた。
誰しも必要なのは、自分をまるっとそのまま認めてもらえたことがある、という経験。
受け入れられた、受け入れてもらえるっていう安心感、肯定感。決して裏切らないものの存在。
自分だけじゃ弱いんだ。ほんとはね。
だから恋愛依存に走るんだ。
子どもになりたい。子どもからやり直したい。自分のすべてを愛してくれる人のもとで、思いっきりのびのび生きて、わがまま言いたいんだ。
与えたら当たり前に返ってくる。
そんな経験がほしいんだ。
無償の愛?
それはね、親の子どもに対する愛じゃないよ。
子どもの親に対する愛のことだよ。それこそが無条件の無償の愛だよ。
どんな親でも、最初から親を愛していない子どもなんていないんだよ。
わかってんのかな、みんな。
ちゃんとそれを受け止められてるかな?
これ以上、不幸な生き物を増やさないでほしいよ。